昨日、素晴らしく示唆に富む対談がタイムラインに流れてきたので記事にしました。




以下「日経ビジネスオンライン」から引用

相次ぐ「少年事件(この場合の少年とは、「満20歳に満たない者」を意味する)」が注目を集めている。

川崎市で中学1年生を殺害した容疑で神奈川県警は先月末、少年3人を逮捕した。今年1月、名古屋市の女性殺害事件で大学生が逮捕され、昨年7月には長崎県佐世保市で高校生が同級生を殺害する事件が起きた。

 2014年4月には改正少年法が成立し、少年事件は厳罰化の方向にある。しかし実は、少年による凶悪犯罪の件数は劇的に減っている。

 少年事件はなぜ大々的に報じられるのか。加害少年の「心の闇」とは一体何か。

 NHK「週刊こどもニュース」の「初代お父さん」を務めたジャーナリスト・池上彰氏と、2004年の佐世保小6同級生殺害事件を描いたノンフィクション『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)の著者で毎日新聞記者の川名壮志氏が語り合う。

(対談は2月7日に実施した。構成は外薗 祐理子)



この対談の中には確信をつく言葉の数々がちりばめられていました。


「子どもは変わった」と皆、言いたがるんですが、子どもは変わっていません。ただし、子どもをめぐるメディア環境は明らかに変わりました。


そう、僕も「昔は良かった」とか「あの頃は」と言われると非常に違和感を感じます。

「本当にそうか?」と。

たしかに世代間でのギャップは存在するとは思いますが、根っこの所ではそんなに大きく変わっていないんじゃないでしょうか。

変わったのはあくまで「環境」。



それからほんの数年間で、いろいろなものが次々と出てきてコミュニケーションツールが急激に変わった。「学校裏サイト」とか、最近で言えば「LINEで村八分」のようなことが起こってきた。大人が気づかないところでね。

 でも昔だって、大人が分からないところで、子どもどうしがやり取りしていたわけです。「体育館裏の呼び出し」とかね。私が少年の頃なんて子どもの数が多かったから、1クラスは50人学級で、先生の目も届かない。目が届かないところでサボったり息抜きしたりする一方で、子どもどうしのトラブルもあった。少年のケンカ殺人なんてしょっちゅうでした。

 警察庁のデータを見ると、少年犯罪ってどんどん減っているんですよね。少年の凶悪犯罪がよく話題になるから、増えているように感じるというだけでね。


「体育館」が「LINEの中」になっただけ。言い得て妙。

「大人の目が届かない場所」はいつの時代もあったし、「大人の目が届くから安心」とは限らない。

何か事件が起こるとすぐに新しいツール、特にネットのせいにしようとする方達がいます。

たしかに「犯罪を助長する側面」もあるでしょう。

しかし、「ネット」はあくまで「ツール」。

全ては使う人間です。

「ネットが~」と言う主張を聞くと、僕はいつも「包丁って、石器時代からありますよね?」と思ってしまいます。

ついつい忘れがちですが、人を殺そうと思えば殺せる道具は日常に溢れている。

包丁なんて最たるもの。

人を感動させるような素晴らしい料理や、心に染み渡る団欒の食卓を演出するのが本来の役割。

しかし、最も身近な殺人の道具でもあります。

極端な話、ボールペンでだって人は殺せます。

「事件や問題のツールごとに対応を変える」のは意味のあることかと思いますが、

「何でもかんでも新しいツールにする」ことには何の意味もありません。



少年事件は大人の事件より衝撃的だから、さらに大きな扱いになります。ある場所でAという少年事件が起こると、別のところでBという全く違う少年事件が起こったとき、またAの事件の話が蒸し返される。だから、少年事件が頻繁に起こっているような印象を受ける。それを警察は「体感治安が悪化している」という言い方をしています。

(中略)

警察庁の資料に「凶悪犯罪の検挙人員の推移」が載っています。統計にある1949年から2013年のうち、殺人で検挙された刑法犯少年(刑法犯の罪を犯した犯罪少年で、犯行時及び処理時の年齢がともに14歳以上20歳未満の少年をいう)の人数が最も多かったのは1951年の443人。池上さんが生まれた翌年です。そのころは1日に少年が1人以上、殺人で捕まっていた計算になります。最新データが2013年ですが、52人。なんと8分の1以下になったんですね。


「体感治安」。初めて聞く言葉でしたが、すんなりと体に入ってきました。

以前読んだ本で、

「アメリカでは同時多発テロ以降に飛行機の利用率が著しく低下した。
しかし、その裏で自動車事故による死亡者が増加してしまった。
飛行機と自動車では”飛行機の方が圧倒的に死亡率は低い”にも関わらず、人々は自動車に乗り続けた。」

というような記述があり、これに近いことなのかもしれません。

数字の上、統計の上では「明白な事実」が「イメージ」により曇って見えなくなり、結果として全く不合理な行動を生んでしまう…。

そして「恐怖」は最も事実を曇らせやすいイメージの1つ…。

「売れる記事」を書くための、メディアによる「刺激度の競争」もそれを助長している。

みなさん、「爆弾予告を続ける人間」に対しては恐怖を覚えるけど、「インフルエンザ」には恐怖を覚えませんよね?だけど、実際にインフルエンザの方が数百倍も多くの人を殺しています。

人の「恐怖感」はアテにならないものです…。



結局、理由は分からない。

今、メディアの話が出たけれど、警察の捜査関係者にもすぐに結論を出したがる人はいます。裁判資料だって、私は起訴状も随分と読んできたけれど、「これを奇貨として」とか「にわかに劣情を催し」とか、少年事件に限らず、型にはまった表現が多い。だけど本当は性急に「原因はこうだ」と決めつけてはいけないんですよね。


これは犯罪当事者としてよく分かります。

というのも、逮捕されてからの取り調べや裁判とは「理由を明らかにする過程」でもあるからです。

正直当時の感情を振り返ってみても理路整然とした回答なんて出てくるはずがない。しかし、それでは誰にも伝わらないから、色々と分かりやすく話を組み立てる。原因や理由を他人に説明できるようにする。

多分、第三者が考えているほど、事件当事者本人は事件に対して理解していないんじゃないか。自分でも原因が分かっていないんじゃないか。そう思います。

もちろん「だから知らない」ではすみませんし、事件を一つ一つの事件を丁寧に掘って行くことは物理的には不可能なのかもしれませんが…。



この記事を読んで、今まで自分の中のもやもやしていた部分が少しクリアになった気がします。

言葉の持つ力を実感しました。

メディアによる「刺激度の競争」に惑わされてはいけない、とも。

私自身、池上さんのように「難しいことは簡単に、簡単なことは深く」伝えれるようになるようにブログを続けていきます。


P.S.対談されていた川名さんの著書。(妹を殺された過去のある加害者遺族(兄)の方を取材したもの)注文したので、読み終わったら書評を書きます。

謝るなら、いつでもおいで
川名 壮志
集英社
2014-03-26