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(昨日も中々カオスな夜だった…)



「魅力的な人」


 

「人生はそういう人たちに出会うために存在している」と言っても過言ではないほど、会えれば楽しいし、嬉しい。


僕自身、そういう人間になりたいと思う。


最近会う人に魅力的な人が多い理由は「ブログを通して自分が魅力を感じた」と思える人にしか会っていないっていうのがある。


ただ、ここでちょっと不思議なことがあって… 



僕は人間関係においてかなり好き嫌いがはっきりしている。なのに、「僕が魅力を感じる人」はそれぞれ全く思考のタイプや性格、雰囲気が違う。



「この人の何に僕は魅力を感じているんだろう?」



ボンヤリと考えていたら、何となく分かった気がした。


僕が魅力を感じる人は、



「連れションをしない人」



なんだって。


周りが言ってるから、周りがやってるから。そんなことはその人たちにとってあまり重要じゃない。


大事なのは、



「自分がやりたいかどうか。自分がすべきかどうか。」



多分、こういう人たちは人生においてどこかで必ず「孤独」を体験している。周囲から「浮く」という体験をしている。


だから「孤独」に対して耐性があるし、孤独な人に対して理解もある。


そして、今もなお日常の中に「孤独の時間」がある。

常に人に囲まれているような人でも、常に誰かと一緒にいるように見える人でも。 


その時間がその人たちの魅力をつくっている時間なんじゃないだろうか。




ただ、ここで矛盾するようだけど大事なことがある。


この人たちは「孤独」だけど「独り」じゃない、ってこと。

 

「馴れ合い」は嫌いだけど、「切磋琢磨」は好き。

「群れ」は嫌いだけど、「戦友」は好き。



「人間一人で出来ることはたかが知れてる。」


その自覚があるからこそ、いざというときは他人に助けを求めることができるし、他人に手を貸すこともある。

僕自身、20代前半は孤独が苦手だった。だけど、それが幸か不幸か「刑務所に入る」という経験から、強制的に孤独と向き合うことになり、今は孤独な時間も好きでいられる。


 

以前読んだ本に「君に友だちはいらない」という名著があった。


君に友だちはいらない
瀧本 哲史
講談社
2013-11-13



いささか煽り気味のタイトルだけど、「やっぱり、そうなんだ。」と読後に腹落ちしたことを覚えている。
 
特にずっと残っているのは、
 
 

・「自分で地道に足し算(努力)できる人間」(=孤独に耐えうる人間)じゃないと、結局はどれだけ魅力的な人と出会っても「かけ算」は生まれない。なあなあの「群れ」で終わってしまう。

 ・「友達」はいらない。必要なのは、高め合えるのは、本当の意味で楽しくて面白いのは「戦友」

・「仲の良いチーム」と「結果を出すチーム」は全く違う。


そういった内容。 
 
 

「連れション」なんてしてる場合じゃない。
 

一時的な寂しさに負けてたら、いつの間にかそこから抜け出せなくなってしまう。
 

群れを抜け出した人間にこそ、魅力が宿る。
 

そう思う。



僕の人生に「連れション」はいらない。 




けもの道をいこう。