以下の記事は2015/7/10付けの「まだ東京で消耗してるの?」に私が寄稿したものを時間を置いて本ブログに掲載しています。


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神戸連続児童殺傷事件



今から18年前の1997年5月。

そのとき僕はまだ小学生でした。

当時の記憶はあまりないですが、「少年A」こと「酒鬼薔薇聖斗」の「異常さ」がことさら強調されていたのは覚えています。そして、そんな事件を起こしたのが自分とそれほど年の離れていない中学生だったことも。

 その「元少年A」が手記を出版したというニュースを目にしました。

 

今回の出版に関しては賛否両論(といってもほとんどが否定派)ありますが、

僕は、

・「彼は本当に更生できたのか?」
・「当時の心理状態は?」
・「彼の社会復帰はどのように行われ、どのような人が関わっていたのか?」
・「これぐらいの事件を起こした人間はどのように生きていたのか?」

そんなことが単純に気になり、本書を手に取りました。


ここからは「元犯罪者」という彼と多少なりとも似通った状況を経験した人間として、本書を読み終えて感じたこと、そして考えたことをそのまま書きなぐっていきたいと思います。

 


①はじめに


記事を書く前に重要な点について書いておかなければいけません。
  

「この本が本当に元少年Aの書いたものか、どうか」

ということ。


結論からいうと、


「元少年Aが実際に書いたものであるという確たる証拠はない。」


です。そもそも実名ではないし、出版社による身元確認も行われていない。

なので「この作品自体がフィクションではないか?」とする主張もあります。



そんな中で、本記事のスタンスとしては、


「あくまで本人が書いたという前提での感想」


です。

理由を2つほど。


まず、「記憶が鮮明すぎる」という声について。

本書を読んで「あまりにも記憶が鮮明すぎるのではないか?」「そんなことまで覚えているのか?」と思われた方も多数いらっしゃるんじゃないでしょうか。特に事件前後の生活において。

たしかに人間の記憶は曖昧で、ときには無意識に過去の出来事を捏造してしまうことすらあります。

ただ、実際に取り調べを受けた身からすると、「何度も何度も同じことを聞かれるので、記憶が綺麗なストーリーになりやすい」んです。

「調書にしたときに分かりやすい文章」ともいえますね。
 

なので、僕はこの点については「何ども同じ説明を繰り返していくうちにその内容が記憶にこびりついただろう。」と理解し、特に違和感は覚えませんでした。
 


次に、「ここまで詳しいことを書けるのは本人しかいないだろう」ということです。

本書には元少年A以外にもその家族や監察官、サポートメンバーや被害者家族等、多くの人たちが登場します。もしその人たちと元少年Aの関わりで矛盾点があるならば、そういった声が上がっていてもおかしくないはず。


しかし、そういった声は僕の知る限り上がっていません。



こういった理由から、僕は本書を「元少年A本人が書いたもの」として受け取りました。

それでは、本題に移っていきます。



②元少年Aは「反省」しているのか?


反省はしていません。


極論本人ではないので、これについては完全に私的な見解ですが、主な理由は2つ。


まず1つ目が「被害者遺族に対して許可なく本書を出版した」という点。


本当に反省し申し訳ないと思っているならば、最悪出版するとしても、「事前の許可」は必要でしょう。本書でも「あとがき」でその点について言及しているものの、「この本を被害者遺族に無断で出版した」という事実の前には全てが無意味。

 

2つ目は本書に記された以下の内容です。


大人になった今の僕が、もし十代の少年に

「どうして人を殺してはいけないのですか?」

と問われたら、ただこうとしか言えない。

「どうしていけないのかは、わかりません。でも、絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから。
 

本人の言葉を借りると、それが少年院を出て以来11年間でやっと見つけた「唯一の答え」だそうです。


たしかに、「なぜ人に迷惑をかけずに自殺しちゃいけないの?」と天涯孤独の人に言われたら、僕も言葉につまるかもしれません…。というか、答えれる自信がありません。


ただ、「なぜ人を殺しちゃいけないの?」に対しては、「君には無意味に人を殺す権利なんてない。」、そして「その人の家族、友達、恋人、その他周囲の人たちが悲しむから」ぐらいは言えると思います。


「自分が苦しむ」というのは「勝手にしてくれ。」としか言いようがなく、苦しむのは「加害者本人」よりも「被害者とその周囲の人間」です。この視点が未だに決定的に欠如している。


今現在、多くの人が元少年Aに憤りを感じているのは、この点だと思います。
 

「なんで未だにその考えができないんだ?」
「なんで遺族の過去の傷口をえぐるようなことをするんだ?」

と。

その考えは十分に理解できるまし、当然だと思います。


ただ、これらの怒りっていうのは

「元少年Aが良心の呵責という概念を心から理解でき、反省できる人間」という前提でのもの。


この前提があるから、今の彼の言動に対して「なんでだよ!!」となる。
 
 

僕は思うんです。
 

「そもそも彼は良心の呵責を感じれない脳の構造の持ち主なんじゃないか」と。

 


③良心をもたない人間「サイコパス」としての見方。

以前こういった記事を書きました。
 

(参考記事:「サイコパス」それは25人1人いる「良心をもたない人たち」


「サイコパス」


記事を読んでもらえれば分かりますが、ざっくり言うと「良心をもたない人たち」
 

・「恐怖心の欠如」
・「強靭な精神力」
・「目的達成に対して周囲の状況は全く支障にならない」
・「結果のために手段を選ばない」

などの特徴があり、
 

脳の情報処理の仕方がそもそも普通の人とは違います。

 本書を読んでいると元少年Aは「明らかにサイコパス的な行動」が散見されるんです。


 例えば、これは彼が小学校低学年のエピソード。


隣の席に、ほとんど何もしゃべらない男の子がいた。
あるとき僕は、どうしてもその子の声が聞きたくなった。
コミュニケーションを取りたかったのではなく、単純に「声を出させてみたい。という衝動に駆られてしまったのだ。

(中略)休み時間になると、僕は幼少期特有の天使のような残虐さで、一言も話したことのないその子の袖を掴み、いきなりお腹を殴った。

その子は声を出さずに、お腹をおさえて屈み込んだ。僕は諦めなかった。襟を掴んでその子を立たせると、今度は半ズボンの裾から覗くその子の内腿を、思いっきりつねり上げた。

(中略)僕は興醒めしてしまい、その子を離して、何事もなかったかのように自分の席に戻った。」
 

まず、「声を出せるためにいきなり殴るという手段をとる」ことが異常ですし、その後「興醒め」し、まったく何事もないように過ごした点にも驚きです。
 

この他にも、

・「同級生を前歯が折れるまでな殴り倒したり」(相手が抵抗しなければナイフで刺していた可能性すらあり)、
・「猫を淡々と殺害し、解剖したり」、
・「被害者の一人である淳君を(事件前に)ボコボコにしていたり」

と数々のエピソードが語られています。

 それらのエピソードには「興奮」や「快感」、「衝動」のような感情の記述は見受けられますが、「良心の呵責」や「罪悪感」についての記述はほぼ皆無。


同級生を前歯が折れるまで殴り倒したエピソードを彼自身が振り返ってこう記しています。


僕は、ダフネ君(同級生)を傷つけたことを何とも思っていなかった。

あんな風に殴られた人がどんな気持ちになるのか、微塵も想像できなかった。

僕は他人の痛みをこれっぽちも感じられない、最低な欠陥人間だった。
 

正にサイコパス。他者への共感力の欠如。
 

また、その他にも最初に取り調べをした刑事にこう言われたそうです。 


「めずらしいやっちゃなぁ~。嘘ついとんのに顔に出えへんなぁ。周りが騙されるわけや。」
 
多分この刑事はそれまでの経験から容疑者の「動揺」や「焦り」さらには「滲み出る罪悪感」のようなものから「匂い」を嗅ぎ取ってきたんでしょう。


それが元少年Aにはない。なぜなら彼は「焦ってもいないし、罪悪感も感じていない。」から。

これらのエピソードからして、僕は彼は完全いサイコパスだと思うんです。「そもそも良心の呵責が理解できない脳の構造の持ち主」だと。
 

だから、世間がいかに怒り狂って彼を糾弾しようとも当の本人からすれば、
 

「あぁ、今俺は注目されている。特別な存在なんだ!!」
 

みたいな気持ちなんじゃないでしょうか。
 

さらにいえば「親の育て方が悪かった」という議論も(もちろん影響はあるとは思いますが)前提自体が間違っている気がします。

「サイコパスの親が必ずしもサイコパスなわけではない」ので。



④「歪んだ承認欲求」と「サイコパス」という最悪の組み合わせ。


もちろんサイコパスだからといって全ての人間が犯罪者になるわけではありません。


(参考記事:成功者としての「サイコパス」その秘められた能力))


記事にもありますが、優秀な経営者にはサイコパス気質の高い者が多く、さらにはアメリカ元大統領の中にもサイコパスがいたという話すらあります。
 

ただ、もちろんサイコパスにも「サイコパス度の振れ幅」や「個人の能力差」は存在し、先に挙げた例の人たちは「賢く優秀かつ”適切なサイコパス度”のサイコパス」です。
 

これが、知能や能力が一般的で「強烈で歪んだ承認欲求を持っているサイコパス」だったら …。


同級生たちが芸能人やスポーツ選手を夢見るように、僕は「殺人界のトリックスター」になることを夢見た。

僕も彼らのように人々から恐れられたかった。怪物と呼ばれたかった。
 

彼の言葉です。

自分が生きていく上で「スポーツ」や「勉強」「人気」「恋愛」などの分野で「特別な存在にはなれない」と悟ったとき。

普通の人ならそこで諦めたり、努力するでしょう。

しかし、彼は違いました。
 

まったく別の、それも最悪な手段を選択してしまったんです。

歪んだ承認欲求に、「良心の呵責がない」「目的のためなら手段を選ばない」というサイコパスの特徴が加わってしまった結果悲劇が生まれた。僕はそう思います。

 


⑤「精神鑑定」の問題点と「更生」の可能性。


「彼はどうしようもない人間なのか?」

たしかに「どうしようもない人間」であることは間違いない。

ただ、僕はこの事件後の対応について少し疑問があります。

本書を読み限り、元少年Aが受けた精神鑑定は、すべて「医師による主観的な判断に基づくもの」


僕はこの点が非常におかしいと思います。


たしかに臨床判断も大事でしょうし、役には立つでしょう。


しかし、現在「サイコパスは脳の器質レベル(画像)である程度診断できる」のにも関わらず、やっていない。

全部の犯罪者をやるのはたしかに無理があります。


ただ、これぐらいの事件を起こした人間(しかも必ず数年で出所することが分かっている人間)に対してそれをやっていないのはおかしいんじゃないか、と。


当時の技術ではできなかったかもしれませんが、これからはぜひ導入し、その結果に基づいた更生アプローチを導入していただきたいです。

仮に同じ殺人犯であっても「良心の呵責が理解できる者」と「良心の呵責がそもそも理解できない者」に対するアプローチは全く違ってくるはずですから。


前者に対して「心理療法」や「愛情を持った接し方」は効果があるかもしれません。

しかし、後者に対してはそういったものよりも「脳レベルでの治療(手術?)」「薬物療法」「負の側面が出にくい環境設定」といったものに重要になってくるかと。(ロボトミー手術などの悪しき前例もありますので、ここの辺りはかなり慎重にならなくてはいけませんが…。)

全てが全てとは言いませんが、今の更生プログラムの状況は、

「風邪の患者に抗ガン剤、末期ガンの患者に風邪薬を処方しているようなもの」

よくなるはずがない。むしろ悪化することだってある。 


また、被害者感情からすれば納得のできない話ですが、「サイコパスに対しては世間が求める心からの反省と更生を諦めなくてはいけない」と思います。
 
「反省していない人」ではなく「反省できない人」なので…。

だからあくまで「再犯の防止」(=周囲から見える結果としての更生)を最重要課題にすえる、と。



⑥驚いた「多くのサポート」と「すんなり就職」


ここまで批判的なことばかり書いてきましたが、本書には「可能性のある部分」も実は結構ありまして。
 

それは、「彼(=元少年A)に対して非常の多くの人が関わってサポートしていた」


という事実です。
 

事件が事件だから、ということもあるとは思いますが監察官がここまで面倒をみてくれるのは意外でした。
 

他にも、更生保護施設(引受人がいない出所者が一時的に生活する場所)の寮母さん、さらには里親となり最終居住先として住まいをかまえてくれた夫妻、受刑中でいえば担当ん教官など、


「これだけの事件を犯したにも関わらず、過去ではなく彼の現在そして未来を見てくれる人がいる」


ということに驚きました。
 

自分の経験からいってもこの環境は非常に重要で、どうしても元受刑者って卑屈になってしまうんです。自分は運良く家族や周囲の友人に恵まれましたが、そういった人間関係がすでに切れている人からすると、こういった方たちの存在は本当に大きなものと思います。
 

(参考記事:元受刑者は「怯えて」います。初対面は賭けの連続)


あと、就職もかなりスムーズにしています。

最初は派遣で日給8000円。その後就職した先では手取りが17万。ここら辺はかなり省略されていたので、もっと詳しく読みたかったですね。間違いなく「経歴詐称しているはず」ですから。でなきゃ絶対雇ってくれません。

本文の中にも新しい人と会うときは「監察官と打ち合わせしておいた偽名を使って」との表記がありますし。監察官がそういったノウハウを提供したのであれば、「世間的に有名な元受刑者のための身元を隠すためのノウハウ」なんかがあるのか?と勘ぐってしまいます。
 

これは別に有名な元受刑者以外にも、「どうすれば嘘をつかずに就職できるのか?」と悩んでいる元受刑者からすれば喉から手が出るぐらい欲しい情報。もしそこら辺のテクニックやノウハウがあれば、是非書いてほしかったのに…。世間的にはこういう情報は重要ではないでしょうが、僕たち元受刑者からすれば本当に死活問題です。
 

(参考記事:元受刑者の就職「経歴詐称は避けられない?」)




⑥本書の出版意義

著者本人や出版社が唱える意義があるのかどうか、僕にはよく分かりません。
 

ただ、この本はもう世に出てしまった。それは事実です。

意義を持たせるのも、持たせないのも世間、いうなれば僕たち一人一人。

 

僕が考える本書の出版意義は主に以下の3つ。
 

(1)サイコパスという存在の認識と、その心理状態の理解
 
「良心をもたない人たち」がどういった心理状態で犯罪を犯すのか。またそういった人たちが存在するという認識を広めるきっかけ。


(2)今後の更生プログラムのための参考資料
 
犯罪や個人により千差万別とはいえ、そういった「良心をもたない人たち」と「そうでない人たち」を初期の段階である程度分け、それぞれに応じた更生プログラムを立案するための参考資料として。

 

(3)新たな法律制定のきっかけ。
 
現在話題になっている「サム法」等、「加害者が被害者をないがしろにしたまま事件のことをネタに金を稼ぐことを禁じる」ような新たな法律制定のきっかけ。


 

こういった「具体的かつ建設的な行動」につながれば、僕は今回の出版は意義があったと思います。


また、一番やってはいけないのが「当事者以外による第三者の誹謗中傷」。


被害者遺族、または同じような経験をされた、周囲の大事な人がされた、似たような状況にある、そういう人たちが怒り狂う気持ちは分かります。それはもうどうしようもありません。僕は子どもはいませんが、もしそうなったらと想像しただけで殺しても殺したりないことは容易に想像できます。


ただ、「全く関係無い見ず知らずの第三者が単なる憂さ晴らしのために本書を利用する」のだけは全く意味がない行為です
 

自分は全く関係ないにも関わらず「叩ける相手を見つけた!!」とはしゃいでいる人も、少なからずいるはず。
 

そういった人たちは自分が関係ないからこそ、当事者でないからこそ、冷静に「今回の件でがどうやれば将来いい方向に活かせるだろう」ということを考えるべきかと。
 

むしろ、「特別な存在になりたい。」と思っている元少年Aからすれば、今の誹謗中傷に溢れながらも「自分が注目してもらっている状態」は彼の歪んだ承認欲求を満たすだけです。


彼の「自己満足ゲーム」にまんまと乗せられているだけです。かつ稼がさせているだけです。全く関係はないにも関わらず、「虫酸が走る」と誹謗中傷だけを書き連ねた記事だけを書き炎上させている人は、「自分自身が一番彼に踊らされている」と自覚するべきです。

僕を含め多くの「直接関係のない第三者」にできるのは、今回の件が建設的な方向に進んでいくための発信や行動しかない。そう思います。
 


この記事を見て、少しでも多くの人にそう感じていただければ幸いです。



それでは、このへんで。

 

けもの道をいこう。

 


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