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(これ、シャーペンですからね)


話が濃すぎて処理しきれない。


関東在住で長期刑務所出身者である浦田さん(仮名:30代)のお話を伺いながら、その年季の入った体験談について行くのがやっとになっている自分がいました。

さすが(?)というか何というか、長期刑務所出身者の方は話の量と質が圧倒的。良い悪いではなく、濃い。記事にするのは不可能なレベルの内容があれよあれよと飛んできます…。ということで、今回は本人の意向、そして僕個人の判断で、掲載できる範囲をかなり絞って記事にしています。割愛している部分が多いため、読んでいる方の中には「ん?ここはどうなってんの?」感じる場合もあるかと思いますが、事情を汲んでもえれば幸いです。


長期刑務所への移送。浮き沈みの激しい受刑生活が始まる。


ーーーー刑務所での生活を、大まかに教えていただけますか。

刑期14年の判決が出た当時、自分は20代前半だったので、最初は川越にある少年刑務所の分類センターで過ごしました。そこから、関東の長期刑務所へ移送となり、基本的にはそこで受刑生活の大半を過ごすことになります。

最初はやはり「新入りイジメ」がキツかったですね…。いわゆる「シャリあげ」といって、ご飯を取り上げられるんですよ。たくわん2枚とトンカツ2を交換、みたいな。その頃はまだ仮釈放が欲しいと思っていたので、我慢していました。

刑務所で一番ストレスが貯まるのは「人間関係」であることには間違いありません。僕のいた島根あさひは、基本的に「独居(=1人部屋)」だったため、その分恵まれていました。これ引き換え「雑居(複数部屋)」は間違いなくストレスがたまることでしょう。雰囲気の良い部屋であればまだマシでしょうが、休みの日となれば24時間同じメンバーと過ごすことになります。そんな中、「タチの悪い輩」と一緒の部屋になるとは、考えてただけで病んできそうです…。

中でも「満期上等」のように初めから仮釈放を一切もらう気がない人間は要注意です。そういう人間は、こちら側の仮釈放を得たい気持ちを利用し、つけ上げるのが日常茶飯事。因縁をつけられても、基本的には「辛抱仮釈」と心で念じ耐えるしかありません。色々な話やデータを見る限り、特に累犯刑務所はその傾向が強く、真面目にやっている人間ほど周囲から足を引っ張られて苦労することがあるようです。

ーーーーそんな状況では、精神的にかなり病んでしまいそうですね…。

ずっと我慢してたんですけど、しばらくして体を壊しました。しかも、診断してもらった結果「結核」を患っており、その後は医療刑務所に移送されました。

医療刑務所での生活。

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ーーーー医療刑務所ではどのような生活をされていたのでしょうか。

法定伝染病である結核の治療だったので、二〇畳ほどのリノリウムの部屋に隔離となり、ベットが6台置かれた広く寒い部屋で一年間過ごしました。

ーーーー「朝早く起きて夜は早めに寝る」といった1日の流れは、一般の刑務所と変わらないのでしょうか。

そうですね。医療刑務所の動作時間は、通常の受刑者と同じ起床就寝時間となっています。

休養者には、安静時間というものが設けられており、午前9時から11時、午後1時から3時、寝る前は8時から9時までの一日5時間が安静時間です。安静時間中は、作業時間に準じて休むことが義務とされているので、話を交わすこと、トイレに行くこと、身を起こして過ごすことは許可が必要です。一人部屋で話す相手は居なかったので、無断交談で注意されることはありませんでした。

ーーーー医療刑務所には、どういった症状の方がいるのでしょうか。

医療刑務所や一般刑務所にある病棟(病舎)には、医師の診断によって休養が必要とされる者がいます。主な症状は、うつ病、発熱、腰痛などです。他にも、摂食障害(拒食症)、統合失調症など、重度の精神疾患を抱えている人もいました。といっても、感染病以外は、居室に誰を入れるかは担当刑務官の裁量によるので、余程の危険性がない限り病名に関わらず同じ部屋で過ごします。

うつ病や腰痛として、社会的入院をしている者は刑務所にもいて、無期囚なのに何年も同じ部屋にいる者がいました。働いていないので、毎月の作業収入もゼロです。タオルは私物を持っていたので官物の交付が許されず、何年も同じタオルを使っていました。そのタオルが腐食していて、ボロ切れになっていたのが印象的でしたね。

中には、ヤカンの水をガブ飲みしてはウルトラマンのような声を出して何時間も吐き続けている摂食障害の人もいたり…。

水だけは飲みつづけられると思いきや、水中毒と診断名がつくと、室外に蛇口のレバーのある部屋に入れられます。その部屋に入ると、便所の水すら外部からしか流せません。 精神病治療薬を飲んでいると喉が乾き、水中毒を併発するのでそういった処置を取らざるおえないのです。

あと、二次災害(?)として、病室に疥癬が流行したこともありました。免疫力の低い老人を中心に皮膚疾患が広がっていったのですが、過剰拘禁により畳部屋に木製ベッドを入れて対処してた上に、院内感染を刑務所が認めたがらなかったせいもあり、衛生面の改善はありませんでした。

ここで学んだことは、あくまで生きる意志がなければ病は治らないということです。処遇上、社会的入病措置を解除するための診察がされることが定期的にされるのですが、リピーターは後を断ちません。また、医師の権限は大きく、診察中に暴言を吐いた者は「絶食10日間」として、食事を取り上げられたこともあります。独居室では空腹に耐えるしかないのですが、雑居室では周りの施しにより、飢えをしのいでいました。

精神疾患も身体疾患も一緒に過ごすことがあるというのは、驚きでした。もちろん世間を騒がせたような超重大事犯は別でしょうが、刑務所で対応できる範囲には限界があるのでしょう。ただただ横になって1日を過ごす様子が目に浮かぶようです。また、ここでも閉ざされた世界特有の権力意識がはびこっていたようで…。「絶食10日間」なんて僕なら耐えられません。そもそも普通の人間が耐えられるか疑問です。

そして「病は気から」という言葉がありますが、それは刑務所も変わらないようです。僕も服役しているときに薬ばかりもらっている受刑者を数多く見てきました。また、中には「市販薬を大量に服薬して薬で遊ぶ」ような輩もいたり…。(多量摂取することにより、一時的に"ラリった状態"になるそうです)

僕が問題に感じるのは「本当に医療が必要な人間」と「ただ単に作業をさぼりだい人間」がごっちゃにされている点です。特に精神疾患は本人の主訴を判断基準とした診断が多く、問題になるのを避けたい医師は簡単に診断書を出してしまうこともあるでしょう。中には、最初は仮病だった人が、自分で思い込みすぎて本当に病にかかったりするケースもあるようです。老年期病院や精神科病院を中心に社会的入院が問題になっていますが、刑務所の中にも社会的服役の人が多くいることでしょう。その他、「刑務所が院内感染を認めたがらない」というのは、まさにミスや失敗を隠そうとする悪習です。


獄中で知った娘の死。自暴自棄の生活、そして刑務官からの嫌がらせ。


ーーーー当時はどのような気持ちで日々過ごされていたのででしょうか。

もう、その頃は「どうでもいいや」という投げやりな気持ちでした。母を身元引受人にしていた親族票も書き換え、仮釈放も諦めました。ただ、ここで全く予期していなかった事実を知ってしまいます。

それが、娘の死です。

私には当時、幼い一人娘がいました。私が起こした事件のせいで、当時は親戚の家に預けており、連絡も一切とっていませんでした。その娘が「すでに死んでいる」という事実を親族表の書き換えのとき、初めて知らされたんです。しかも、娘が交通事故で死んでから3年経った後に。

その親族とも手紙でやり取りしたのですが、話が噛み合わず…。本当に落ち込みました。そこから2年ぐらいは完全に生きる気力を失い、医療刑務所で1日1500kcalの栄養剤だけで死んだように過ごしてましたね…。

僕は結婚もしていませんし、子どもいませんが、こういった「身内の死に目に会えない」のは受刑者の宿命です。特に浦田さんの場合はその事実をかなり後から聞かされたということで、そのショックは相当なものだったに違いありません…。僕自身、大変お世話になっていた方が亡くなったことを刑務所で知ったときは、自分の馬鹿さ加減にほとほと嫌気が差しました。

当然のことですが、この傾向は短期刑務所より長期刑務所の方が多いことでしょう。「身元引受人の家族が死んだ」「逮捕されてからずっと支援してくれていた人が亡くなった」等の話はよく聞きます。「何とか頑張って仮釈放を!家族に恩返しを。」と思って受刑生活を送っている人にとって、こうした報せは何より堪えるのは間違いありません。「自業自得」言われればそれまでですが、分かっていてもやりきれない思いになります…。

ーーーー医療刑務所にはどのぐらいいたのですか。

大体4年ぐらいですかね。もうその時すでに7年ぐらいの月日が過ぎていました。体調が回復してからは、元いた長期刑務所に戻りましたが、精神安定剤は服用していました。また、色んな事で罰が重なる度に独居生活が長くなり…。

刑務官からの嫌がらせもたくさんされましたね…。刑務所の待遇改善の要望の手紙を出そうとしても、1年間処遇の担当が受け付けないこともありましたし。裁判所宛の手紙を受付した3日後に返されたり…。一番ひどかったのは体調を崩して「保護房」にいたときです。

そこの保護房って、めちゃくちゃ寒いんですよ。しかも造りが古くて報知器(=刑務官に用をしらせるためのスイッチ)もない。何度言っても相手にされず、10日目にこらえ切れずに手首を切って血で「寒い」と壁に書いたら、ようやく刑務官も対応してくれました。

刑務官の嫌がらせは、実際にあると僕も思います。ルールがあるとはいえ、懲罰のさじ加減は担当の刑務官による所が非常に大きいからです。僕も受刑中、気に食わない受刑者を小さなミスでバンバン懲罰に行かせる刑務官や、逆に「それいいの?」と思うぐらい甘い(=受刑者と距離が近い)刑務官を実際に見てきました。

ただ、ここまで酷いのは初めて聞きましたね。最近は「刑務官が受刑者を虐待していた事件」などが明るみに出て、改善されつつあるという情報は目にしますが、やはり閉ざされた世界では世間の常識は通用しません。「手首を噛み切り、その血で文字を書く状態」にまで追い込まされる状況とは…。

その後、浦田さんは独居から雑居に移ることになりますが、そのときは「話せる人がいるだけで嬉しい」と思ったそうです。


出所後は生活保護に申請。親族の中では「存在しなかった」ことに。

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ーーーー出所されてからの流れを教えていただけますか。

事件の内容が内容だっただけに、家族の引受も断っていたため、出所したその日に福祉事務所へ生活保護の申請に向かいました。

雑居の更生施設に一泊した後、実家にも寄ったのですが、逮捕される前は8人いた家族も、住んでいるのは母と3匹の犬だけになっていました。祖母は私が出所する数ヶ月前に亡くなっており、会えなかったのが心残りです。

ーーーー8人いた家族は、今浦田さんとどのような関わり方をされているのでしょうか。

親族の集まりなどには一切参加しておらず、「そもそも存在しなかった扱い」になっています。もう家族以外は会うこともないでしょう。

でも、それが寂しいかと言われると、そうではありません。むしろそうしてくれた方がこちらも気が楽です。兄弟の中には結婚している人間もいますが、兄弟のパートナー以外は私の存在すら知りません。そうするのが、お互いにとって一番良いのかな、と思います。

僕がこの手の話を聞いて、いつも思い出すのが東野圭吾さんの本「手紙」です。強盗殺人犯の兄を持つ弟の苦難を描いた作品ですが、被害者遺族がいるように加害者家族もある種の被害者に思えてなりません。僕自身、今でも家族には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。まだ見たことの無い方は、本と映画両方おすすめですので、ぜひ一度見てみて下さい。

僕の場合は「いなかった存在」とはまではなっていませんが、親族の中には完全に疎遠になった人はいます。そして、浦田さんと同じく「それで良かった」と思っています。自業自得と言われればそれまでですし、互いに変な気を使う必要もないので。


今はとにかく生きていていくことが大事。今後どうするかは今探している最中。

現在の生活の様子を教えてもらえますか。

今は3DKのシェアハウスの1室で、生活保護を受けながら生活しています。ただ、刑務所のときの名残で精神安定剤は今も服用しており、精神科へは定期的に通っている状態です。

私には安定剤による中毒のようなところがあるので、「ダルク」や「ナバ」にも行ったのですが、私のような重大事犯は受け入れてもらえませんでした…。今は「マック」というアルコール・薬物・ギャンブル・様々中毒者を対象にした団体に通わせてもらっています。

今は、自分の興味がある所に顔を出しながら、今後をどうしていこうか考えている所ですね。

僕は初犯で短期刑務所での服役でしたが、長期刑務所ともなると社会復帰の壁はさらに厳しいようです。「ダルク」のことは以前から知っていましたが、そこでも断られることがあるのは驚きでした。これまでも「長期刑務所出身の人は、一体どうやって生活しているんだろう」という疑問は漠然とありましたが、実際にこうして話を聞かせてもらうと、就職できる人は本当に限られているのが実感できます。

また、今回の取材で痛感したのが「刑務所よりも出所後の生活の方が厳しい」という現実です。犯した事件の内容が大きければ大きいほど。しかも、そうした状況に対して有益な情報は世間にはほとんど出回っておらず…。これからも、この取材を続けていこうと、改めて思わされました。

浦田さん、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。